廃妃尹氏(ペビユンシ)が成宗(ソンジョン)と離縁した経緯

インス大妃では、ソンイ(廃妃尹氏)が

数々の悪行を働いて、徳のない王妃として宮殿を追われ、

最終的には成宗から死を賜ります。


実際、王妃尹氏(斎献王妃)はどのような経緯で

離縁させられたのでしょうか。

廃妃尹氏は王の子を宿すともともと荒かった気性がさらに荒く

横柄になり、宮女を毒殺しようとしたりするなど

問題行動が多い王妃でした。

そんな王妃を成宗は自然と避けるようになり、インス大妃でも登場する

淑儀厳氏(スグィ・オム氏)と淑容鄭氏(スヨン・チョン氏)を寵愛するようになります。

それが余計に王妃尹氏を刺激することとなります。


尹淑儀の部屋で過ごす王のもとへ嫉妬に狂ったソンイが突撃する

シーンがありますが、

実際の王妃尹氏も王が厳氏や鄭氏のすまいに顔を出すたびにそこに現れ、

成宗を困らせたといいます。

そしてついに王妃は毒(砒素)を宮殿に持ち込み、厳氏と鄭氏を毒殺しようと

試みます。

しかしそれが成宗に見つかり、成宗は自分自身の命も危ないのでは?

と危機感にかられます。

また、王妃尹氏は厳氏と鄭氏を標的に、まじないの類に手を染めていました。

とにかく王の寵愛を受けることも、王の寵愛を受けて男児を産むことも

王妃尹氏には耐えがたいものだったので、なんとしてでも

この二人を排除したかったのです。

成宗が疎ましく思っていると勘づいていた王妃は、余計に嫉妬に狂ったのでした。

もともと王妃に冊封されたときには王の寵愛を受け大妃からの評価も

高かった尹氏ですが、政治にも口を出し、嫉妬心に煽られて何をしでかすか

わからないような状態となり、宮殿を追われることとなります。

もっとも、王の周囲はこれに反対していました。国の規範ともなるべき王が

自らの正室を追い出すというのは前代未聞で、廃することだけは

ならないという声が多くありました。

ドラマ中ではインス大妃が王妃を廃し、王妃の命を奪うよう成宗に

訴えますが、

実際は成宗が王妃のふるまいに限界を覚え、

周囲の反対を押し切って廃位としたのでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です